東日本大震災のボランティア活動に参加して学んだこと【自然災害について考えて欲しい】
*この記事は2013年3月10日に東日本大震災のボランティア活動に参加した体験記を書いたものです。
当時の自分の感情や考えなど、つたない文章や表現なども当時のままにしてあります。
東日本大震災から10年近くが経過しようとしていますが、実際に現場へ足を運んで体験したリアルな感覚や感情は決して忘れてはいけないものだと感じました。
地震大国日本に住む以上今後も避けられないであろう震災にどう向き合うべきか、どのような備えをするべきかについても書いてきました。
人は油断します。
ですが起きてからでは遅いということをしっかりと認識して行動してもらいたいのが筆者の願いです。
そしてこの記事を読んだ人が大切な人を守るためにも情報を共有してもらうべく、拡散にご協力頂きたいと思っています。
何卒よろしくお願い申し上げます。
【東日本大震災ボランティア活動内容】ボランティア参加の経緯
東日本大震災から早くも2年が経過。
大学の先輩がボランティア団体の代表を務めていたのでボランティア活動に行かないか?と何度かお誘いを受けていましたが、アルバイト先で人手が足りなかったりいつも予定が入っていたりで今まで参加してきませんでした。
私は今春より社会人となるためこのような機会に参加できる回数も減ってしまうと思い、そうなってしまう前に一度だけでも復興支援に協力できればと参加させていただくことになりました。
今回お世話になったのは災害復興新団体CTBさんです。
【東日本大震災ボランティア活動内容】東北の被災地に着いて
3月8日~10日の1泊3日で宮城県仙台市にある津波復興支援センター(旧岡田サテライト)に向かいます。
8日23:00に日暮里駅にて集合。SAで休憩を挟みながら東北道を進み5:30頃現地到着。
コンビニ等で軽く軽食をとり、荒浜地区(沿岸部の地域で津波の被害にあった)を軽く散策。
仙台に着いて早々悲しい気持ちでいっぱいになりました。
コンビニはその辺りでは大きな通り沿いにあってその通りより内陸部は良い意味で田舎で、山が見えたりのどかな風景でしたが通りの反対沿岸部はなにもありませんでした。
東日本大震災で起きた津波の被害が大きく、あるのは後から建てられた慰霊碑と避難場所であった小学校だけ。
住宅などは全て流されたようで家の土台だけが残り、それがまた本来はここに家があったという証拠にもなり胸がえぐられるような感覚でした。
現地についた直後の写真



画像3枚:東日本大震災で猛威を振るった津波の恐ろしさ
【東日本大震災ボランティア活動内容】現地で被災した方のお話
その後7:00からは現地の方が先ほど少しだけ散策した荒浜地区を案内してくださいました。
案内をして頂いたのは地元の方で69歳の男性で、先ほど書いた避難場所である小学校の出身でもあり、昔からその地区で生活してきた方でした。
現地に到着してから散策してきた範囲を改めて紹介して頂いたのですが、被災地では【行政対地元住民】、【地元住民対地元住民】で被災した地区についてどうするかの意見が大きく異なり、その結果話し合いが進まず取り壊し・再建など次のステップへ進めないとおっしゃってました。
筆者のように県外からきて見た客観的な目では修理・補修では到底不可能であろう家であっても、そこに住んでいたかたにとっては自身の人生の一部とも言える生まれ育った場所であって、そこには多くの思い・思い出・歴史などがあり残したいと考える人。
整理しきれないほど悔しさや悲しさの負の気持ちがありながらも次に進もうと初めの一歩を踏み出すために行政に土地を売ったり・損壊した建物を取り壊したりしてる人たち。
行政はここには住めないからと土地を明け渡すよう言うが、地元住民はここは私たちの土地だと移住を拒み。
復興を進めるためにも土地を一度きれいにして次へ進もうとする人たちと、思い出や育った土地を大事にしたいと思う人たち。
なかなか地区全員の意見はまとまらずに困っているという現状があるようです。
69歳と高齢者ということになりますが、多くの復興支援などにたずさわり地元を元気にしようと活動をされていました。
下に載せた写真は現地を案内してくださった方の活動の一環です。
現在(2013年3月10日)荒浜地区は居住制限がされているため住むことはできません。
しかし私たちはここに帰りたい。ここに住みたいんだという思いを表すために、有名な映画を模倣して黄色い旗を掲げているそうです。

余談ではありますが日々精力的に活動し復興について考えたり意見交換をしたりと頭を使っているおかげか案内して下さった方は話もうまく体もお元気そうでした。
【東日本大震災ボランティア活動内容】ボランティア活動の作業内容
その後、再び移動し津波復興支援センター(旧岡田サテライト)に向かいます。
こちらは全国から集まったボランティアに参加するかたが集まる拠点となり、地元の方からあった依頼をこちらで受付けて、それを私たちボランティアスタッフが案件としてもらい作業に行きます。
今回我々CTBが引き受けた案件は畑の瓦礫(がれき)撤去作業でした。
センターから車で移動し依頼者の畑まで向かいます。そこにあるスコップやらクワを使って畑を掘り起し、木・石・ビニールなどを手作業で掘り起こすといったものでした。
畑を耕す作業とも言えますが…まぁ辛いです。
慣れない農機具の使用、固まった畑を掘り起こす、広大な敷地をひたすら進む精神的負担。
作業中はCTBメンバーの方々とわきあいあいと進めてたので楽しくできましたが、休憩中や終わった後、そして農業を本業として毎日作業をするなど考えた時にこれはしんどい作業だなと感じました。
特に今回CTBメンバーは20~26歳の10人と若いメンバーなので体力もある年代でしたが、被災地のお年寄りが大切にしてきた畑が津波の被害にあい意気消沈し、老体に鞭打って少人数であの作業を行うことは精神的・体力的にそうそうできるものではないなと感じました。
【東日本大震災ボランティア活動内容】 作業中に思った疑問

ここまで読んでいてなぜわざわざ効率の悪い手作業なのか?
こんな機械で楽に掘り起し、耕すことができるのではないか?
正直作業をしている最中遠くに耕すための機械が見えたのであれ使えばな~と考えていました。
そんな時にCTBの代表から「なんで機械を使わずに手作業をすると思う?」と聞かれました。今回参加した人の中で何人がこの疑問を持つだろうかと。
皆さんはわかりますか?正解は・・・↓
瓦礫によって機械が壊れてしまうからだそうです。
今回の現場では瓦礫は少なく木の枝やビニールが大半でしたが、過去に行った現場では流木・石・岩・鉄パイプや震災直後は人体の一部なんてこともあったくらい何が埋まってるかわからないのです。
耕運機が想像つかない方もいると思いますが…

畑を耕す部分はこのような細い金属でできています。この部分が鉄パイプや岩などにぶつかってしまうと簡単に折れてしまうそうで、そうなってしまうと修理に高い費用がかかってしまうため耕運機は使えないとおっしゃってました。
そのため、人力での瓦礫撤去作業が必要不可欠であるということ。
そして、なにより被災地では「その人手が足りていない」ということです。
【東日本大震災ボランティア活動内容】もっとも大事なのは継続的な支援
今までの自分もそうでしたが、遠方から募金などの金銭的・支援物資などの援助しか行なったことがありませんが、実際に現場に行き感じたことは遠方から1万円募金するより、現地に出向きこのように人での必要な作業に加わる方がより大きな支援になるのではないかと思いました。
震災から丸2年が経過しましたが被災直後よりもボランティアの人数が減り、これからもっと人手が足りなくなると代表がおっしゃってました。
新潟の中越地震も今では過去のように私も感じていましたが、現地ではいまだに復興作業を行なっているとも聞きました。
ボランティアや復興支援は一度やっておしまいになるのではなく、長い年月をかけて継続した支援がなによりも大事なのです。
【東日本大震災ボランティア活動内容】 活動を通して知った日常の幸せ

そして初日の作業が終了しその後近くにある仙台コロナワールド内にある温泉へ。
とても大きな施設でボウリング・カラオケ・ゲームセンター・温泉などの複合施設で、実際になかを歩いてみても、お風呂に入ってもとてもきれいで一日の疲れも飛びました。
そんな当たり前の感想でしたが…風呂上りに集合した際に代表から言われたのは、「この施設も東日本大震災で被災し、復興したばかりです」
驚きを隠せませんでした。
たしかに周りは被災の跡が残っていて半壊した家や土台だけの場所も多くあったのを思い出しました。
ボランティア参加者は東京・神奈川のメンバーが主でしたが、その事実を知ってるのは一部。
その他の参加者からしてみたら温泉施設くらいあって「当たり前」という感覚でした。
代表「当たり前なんてない。」そうおっしゃってました。
温泉施設に行き汗を流すなんて「当たり前」だと思っていたことすら覆されました。
今首都圏で生活し、暮らしていることさえどれだけ幸せなことか。そして、被災地である施設が営業再開までにどれだけのお金と労力をかけて再興させたのか。
ただ、お風呂に入ってきただけでいろいろなことを考えさせられました。
【東日本大震災ボランティア活動内容】 グループワーク
そして夕食をとってから宿泊先である本願寺ボランティアセンターにてグループワークを行います。
代表がいくつか質問をし、それについてどう考えるか…といったものでした。
その中で一番印象に残ったものを紹介します。
「あなたは今被災し、避難所生活をしています。あなたは災害時用の非常食や水をしっかりと揃えていてしばらくは不足する心配がありません。そこにある人は事前に準備をしていなく被災時に非常食等を持っていなく少し分けてもらえませんか?と尋ねられました。その時あなたは非常食を分けますか?分けませんか?」
これについて9人いた回答者は半分ずつに分かれました。
「分ける」と選択した人の理由として「小さな恩を売る」「老人・こどもであれば分ける」「チャンスだと思い助け合う仲間を作る」といった意見でした。
「分けない」と選択した人の理由として「準備しない人が悪い」「自分に子供がいたら人よりも子供を優先すると思う」「人よりも自分」などがありました。
これらの質問に正解・不正解はありません。
しかし、代表は「助け合いや人との繋がりをもつことはとても大切だと思います。分けないと答えた人が意地が悪いように聞こえると思いますが、分けないと答えた人の方がより現実的に災害時のことを考えているとも言えます。」
この理由として災害時の避難所で実際にあったそうですが、自分の食糧を隠し持っていながらも他人から食糧を乞い、分けてもらうといったことが多くあったそうです。
それだけ災害時はそれぞれがいっぱいいっぱいの極限状態になるそうです。
そうなった時にはまず自分のことは自分で守るといったように備えることが大切だと。
なので「分けない派」の意見にあった「準備しない人が悪い」といった意見はなかなか的を得てるとおっしゃってました。
あなたは災害時の備えをしっかりとしていますか?
今でも国内でもあちこちで大震災が起きると散々言われています。そんな中、あなたは災害時ようの非常グッズを準備してますか?
これだけ言われていても実際に準備してる人は少ないんです。
こないと思って油断しているから。
明日100%大震災が来ます。準備をしてください。と言われたら90%以上が震災に備えて準備をすると思います。
しかし、いつかくるかもしれない、そうそうくるものではない、こないだろうと段々他人事のように考えている人が多くいます。
それで準備をしてこなかった人がいざ被災してちゃんと準備をしていた人に分けてくれなんていうのはある意味甘ったれたことを言うな…と。
私も最初は「分ける」を選択していましたが、話を聞いたあとには考え方は「分けない派」になっていました。
それと同時に防災意識や防災グッズを準備・点検しておくことがどれだけ大切かも改めて認識しました。
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【東日本大震災ボランティア活動内容】 実際に体験して感じたこと
代表からも本当に大切な人には今回感じた防災の重要性を伝えてあげてと言われ、どのように伝えるか考えた結果ブログという手段をとりました。
より多くの人がこれを読んで「分けない派」の考え方を理解してもらいたいと思ったからです。
皆が分けなくなればいい。
そういう意味では決してありません。
もちろん準備は怠らなかったけど事情により非常グッズを持てなかった人もいるでしょうから。
そうではなく「震災を他人事でなく身近な現実として認識し準備を怠らない」ということです。
震災はいつ何時起こるかわからないことだからしっかりとした準備と家族や大切な人とどこにどのように避難するかをしっかりと話すことがとても重要です。
そのうち準備しよう・いつか話そうではだんだんと意識が下がってしまいます。
流行の言葉でもありますがいつやるか?「今でしょう!」ということです。
今回のボランティア活動を通して多くのことを学び、そして考えました。
自分のことで忙しい人も多いと思いますが、一度でいいから被災地に足を運び東北の現状を知ってもらいたいと思います。
そしてそれがなかなか叶わない人も自分がいつ被災しても対応ができるよう準備を怠らないようにし、防災意識をよりもって被害を最小限に抑えられるようにしてください。
私は少しでも多くの人にこのことを伝えたいと思っています。
このブログを読んで少しでも何かを感じて下さった方がいましたら、家族・友人・知人そして大切な人に紹介してもらい読んで頂きたいと思っています。
個人的な見解や感想が多く、異なった見解や意見もたくさんあると思いますが、こういった価値観・見解「も」あるんだと思い拡散して頂けたら幸いです。
今日で震災から2年。
今年も14:46に黙祷をしました。
最後になりましたが・・・
被災者の皆様これからも自分にできることは精一杯務め復興支援をしたいと思います。
震災で亡くなったかたのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

